硫化モリブデン:水素生成触媒としての応用
Linyou Cao
Department of Materials Science and Engineering Department of Physics North Carolina State University, Raleigh, NC, USAMaterial Matters 2015, Vol.10 No.3
はじめに
触媒を使った水分解による水素生成は、再生可能エネルギーや石油精製などの幅広い産業や、化学工業におけるメタノールやアンモニアの製造において重要となります。再生可能エネルギー分野では、太陽光や風力のような間欠性再生可能エネルギー源から生成したエネルギーの貯蔵用媒体として、水素に注目が集まっています。石油精製において、水素はメタノールおよびアンモニアを製造するための供給原料として重要です。化学工業分野では、現在最も一般的に行われている水素製造プロセスであるメタン水蒸気改質で製造された水素と比較して、触媒を使った水分解で製造された水素は純度が高く、環境へ与える影響も少なくなります。このように大きな可能性を秘めているものの、高性能で低コストの理想的な触媒を欠いているため、触媒を使った水分解はまだ広く採用されていません。
水中の水素発生反応(HER:hydrogen evolution reaction)で最も広く使用されている触媒は、白金(Pt)です。Ptは優れた触媒性能を示しますが、水素の大量製造にはコストが高すぎます。代替触媒として、地球上に豊富に存在する金属ジカルコゲン化合物である硫化モリブデンが有望視されています1-3。異なる組成(二硫化モリブデンまたは三硫化モリブデン)や形状(ナノ粒子、ナノチューブ、アモルファス、または単結晶MoS2)の多様な硫化モリブデン材料が、HER用触媒として検討されています。硫化モリブデン材料の触媒効率は大幅に向上しているものの、Ptと比較するとまだ低く、有用なHER触媒として実用化するためには、その性能をさらに改善する必要があります。
硫化モリブデンを用いた高性能HER触媒の開発には、その触媒反応の理解が不可欠です。触媒性能は、交換電流密度(触媒回転頻度、turnover frequency)、ターフェル勾配、および安定性の3つの主要な材料パラメータによって表され、高い交換電流密度、小さいターフェル勾配、および高い安定性を得るための相乗的な最適化が高効率触媒の開発に必要です。しかし、それぞれのパラメータが硫化モリブデン材料の物理的特徴にどのように依存するかは、依然としてあまり理解されていません。例えば、二硫化モリブデン(MoS2)のエッジサイトは触媒活性を示し、交換電流密度はこのエッジサイトの数に比例すると一般には考えられています4。しかし、最近の研究では、交換電流密度に対して材料の電気伝導率も重要な役割を果たしていることが示されています5–8。
本稿では、MoS2を触媒とするHERに関する最新の進展を概説します。特に、3つの主要パラメータ(交換電流密度、ターフェル勾配、安定性)が、硫化モリブデン材料の組成と構造特性にどのように依存するかに関する新たな知見を紹介します。また、高性能で費用効率の高いHER触媒の開発に向けた合理的設計についての展望も述べます。
交換電流密度:エッジサイトと電気伝導率
交換電流密度は、熱力学的平衡下での触媒反応の速度を示します。従来は、エッジサイトが触媒性能に対して圧倒的に重要な役割を果たし、交換電流密度はエッジサイトの数に線形に比例するというのが定説でした4,9。その根拠となっているのは、エッジサイトへの水素原子の吸着に関する自由エネルギーが小さいことを示した理論シミュレーション10や、交換電流密度が触媒材料の面積ではなくエッジの長さに依存することを示した実験結果4です。しかし、我々の最近の研究から、交換電流密度に対する電気伝導率の重要な役割が見落とされていることが明らかになっています8。
エッジサイト数が異なる2種類のMoS2材料の触媒性能の比較から、交換電流密度がエッジサイト数よりも材料の電気伝導率に強く依存していることが明らかになりました。まず、一方の材料は、層数の制御された、連続で均一な原子レベルのMoS2薄膜で(図1A–B)、エッジサイト数が多くはないことを確認しています。もう1つの材料は三角錐型MoS2(ピラミッド状プレートレット)です(図1C–D)。このプレートレットは転位による成長(dislocation-driven growth)で形成されたもので、その表面はエッジサイトで完全に覆われています。この薄膜とプレートレットは共に、化学気相成長法(CVD)によって同一温度(850℃)で合成されており、同等の結晶性を有すると考えられます8,11。一般的な知見とは大きく異なり、エッジサイト数が多いため交換電流密度が高いと予想されるプレートレットは、単層MoS2よりも1桁小さい値を示しました(図1E–F)。さらに、両方の材料で、交換電流密度は厚さの増加に伴って大幅に減少します。これに対して、ターフェル勾配は2種類の材料間でほとんど変化がなく、層数の増減による大きな変化もありません。
図1MoS2の単層膜とピラミッド型プレートレットの触媒性能。ガラス状炭素基板上の単層MoS2膜の光学像(A)およびAFM像(B)。基板と膜の間のコントラストを示し、かつ膜の高さを容易に判別するために、意図的にスクラッチ(scratch)を付けています。B)の挿入図は代表的な膜の高さプロファイルです。ガラス状炭素基板上の代表的な三角錐プレートレットのAFM像(C)およびSEM像(D)。C)の挿入図は代表的なプレートレットの高さプロファイルを示しています。各MoS2材料の分極曲線(E)およびターフェルプロット(F)。ターフェル勾配および交換電流密度を(F)に示しています。文献8より転載。Copyright 2010 American Chemical Society。
これら実験結果は、交換電流密度に対してMoS2材料の電気伝導率が重要な役割を果たしていることを示しています。MoS2膜で得られた結果からは、以下のように説明できます。新しい層を追加するごとに膜の交換電流密度が4.45分の1に減少する現象(図2A–B)は、電気伝導率が層に依存することで説明できます。図2Cに示すように、MoS2表面で触媒反応を進行させるためには電極から表面まで電子が移動する必要があります。MoS2材料内の垂直方向の電荷移動は、ファンデルワールスギャップが存在するため、トンネル効果によって起こります12。この電子トンネリングは層数が増えるにつれて減少することが予想され、交換電流密度の層依存性を電子トンネリングの効率と関連付けると層間ギャップのポテンシャル障壁Vo = 0.119 Vが得られます。この結果は、理論的に予測されるMoS2層間ポテンシャル障壁の0.123 Vと一致しています13。
図2MoS2膜の触媒活性の層数依存性。A)合成されたMoS2の単層(赤、1L)、二層(青、2L)、および三層(オレンジ、3L)膜の分極曲線。被覆されていないガラス状炭素基板の曲線(黒)も示しています。B)層数の関数として表したMoS2膜の交換電流密度。電流密度は対数スケールでプロットされています。破線はlogy = –0.65x–5.35の近似曲線です。C)MoS2層の垂直方向の電子ホッピングを示した概略図。右側は層間ギャップのポテンシャル障壁を示しています。文献8より転載。Copyright 2010 American Chemical Society。
この電極触媒反応には次の2つの電荷移動過程が含まれます。(1)触媒表面から電解質溶液中のプロトンに電子が移動する過程(この過程で中間生成物として水素原子が表面に吸着する可能性があります)および(2)触媒の下に位置する電極(ガラス状炭素)から触媒表面に電子が移動する過程です。熱力学的平衡下で、交換電流密度は基本的に電極からプロトンへの電荷移動全体の速度を表します。活性サイトの役割は、水素原子吸着の自由エネルギーを減少させることで、最初の電荷移動を促進することにあります。これまでの理論的研究では、この吸着の自由エネルギーがゼロに近づくときに、最初の電荷移動の速度が最も速くなることが示されています10,14。これに対して、電気伝導率は第二の電荷移動の速度に影響を与える可能性があります。ここで、電荷移動速度に対する電気伝導率の効果は触媒材料の電気抵抗による電圧降下とは異なるもので、iR補正を行うことでその影響は除外できるという点に注意が必要です。
この知見に基づくと、これまでの主な戦略である活性サイト数を増加させる方法だけでなく、電気伝導率を向上させることでも交換電流密度の改善が期待されます。最近の多数の研究により、電気伝導率を改善した結果、MoS2の触媒性能が向上することが明らかになっており、実際に、MoS2結晶相を2Hから1Tに変えることで触媒性能が大幅に向上したことが報告されています。1T相は2H相よりも電気伝導率が高いことが知られています5–7。さらに、コバルトやニッケルでドープしたMoS2は触媒性能が向上することが示されていますが15、これも電気伝導率が改善されたためだと考えることができます。電気伝導率の違いから、結晶性の硫化モリブデン材料ではアモルファスの材料よりも大幅に交換電流密度を高めることが可能です(図3Dを参照)16。
ターフェル勾配:結晶性の無秩序さ
ターフェル勾配は、加えられた過電圧に対する触媒反応速度の依存性を示します。ターフェル勾配が小さいほど、過電圧を加えた際の反応速度の増加が大きくなります。一般に、電気化学反応のターフェル勾配(η )は反応の律速段階で決定され、その律速段階に関与する電子数(z )および電荷移動係数(α )の関数として、η = 2.3 zRT / αF のように記述することができます14,17。ここで、R は理想気体定数、T は絶対温度、F はファラデー定数です。硫化モリブデン材料のHERは、通常酸性媒体で進行し、次の3つの反応段階が含まれます。
- 一次放出段階(Volmer反応):
H3O+ + e- → Hads + H2O - 電気化学的脱離段階(Heyrovsky反応):
Hads + H3O+ + e- → H2 + H2O - 再結合段階(Tafel 反応):
Hads + Hads → H2
これら各反応の電荷移動係数(α)が異なるため、HERのターフェル勾配はどの反応が律速段階となるかに依存することがよく知られています。具体的には、反応(1)が律速段階の場合のターフェル勾配は120 mV/decade、反応(2)の場合は40 mV/decade、反応(3)の場合は30 mV/decadeとなります。また、これら3つの反応のうち2つ以上が律速段階の場合、ターフェル勾配は他の値を取ることもあります。文献で報告されている硫化モリブデンにおけるHERのターフェル勾配は、40~140 mV/decadeの値を取ります4–6,15–29。これは、HERの律速段階が大きく変化している可能性を示していますが、材料の物理的特徴に対して律速段階がどのように依存するかに関する研究はほとんどありません。
硫化モリブデン材料の結晶性がターフェル勾配に影響を与えている可能性があります16。我々は、単結晶、多結晶、横方向のサイズが4~5 nmの数層からなるナノ結晶を含有するアモルファスなど、異なる結晶性の硫化モリブデン膜におけるHERを調べました(図3)。結晶性の制御は、成長温度を調節することで行いました(図3B)。図3Cでは、ターフェル勾配が結晶性に強く依存していることが示されています。結晶性が低い硫化モリブデン材料(アモルファスまたは微量のナノ結晶を含有するアモルファス)の場合、ターフェル勾配は40 meV/decadeと低い値を示します。これに対して、多結晶の材料では最大60 meV/decade、単結晶の材料では80~90 meV/decadeにターフェル勾配が増加します。
図3硫化モリブデン材料の結晶性に対する触媒能の依存性。A)異なる温度で成長させた硫化モリブデン材料の分極曲線。成長温度は図内に示しています。B)異なる温度で成長させた硫化モリブデン材料のラマンスペクトル。成長温度およびラマンピークの帰属を図内で示しています。なお、400℃以下で成長させた材料のラマンスペクトルの強度は10倍にして表示しています。矢印は400℃で成長させた結晶性MoS2材料のラマンピークを示し、破線の円は420℃で成長させたMoS3材料のラマンピークを示しています。成長温度の関数として表した、硫化モリブデン材料のC)ターフェル勾配およびD)交換電流密度。文献16より転載。Copyright 2010 American Chemical Society。
低い結晶性の材料でターフェル勾配が小さい(40 meV/decade)理由は、ある種の欠陥が存在するためだと予想されます。電気化学的脱離段階が触媒反応の律速段階になっており、これら欠陥が活性サイトの役割を果たしている可能性があります。これら欠陥の性質に関する理解にはより多くの研究が必要ですが、我々は欠陥の1つが二硫黄錯体(S22-)だと考えています。三硫化モリブデンでは、硫黄が主に二硫黄錯体の形で存在し、常に40 meV/decadeのターフェル勾配を示します16。また、アモルファス二硫化モリブデン材料においても、構造の無秩序さのため二硫黄錯体が存在するかもしれません。
低いターフェル勾配と結晶性の低さ(アモルファスまたは微量のナノ結晶)の関係は、他のグループによっても確認されています。多くの欠陥を有すると予想される、数層からなるMoS2ナノ結晶や横方向のサイズが<10 nmおよび結晶相を操作したMoS2ナノシートにおいて、同程度のターフェル勾配(40 meV/decade)が報告されています6,7,17。また、MoS3やMoS3に類似した構造を有するチオモリブデン酸塩もしくはMo3S132-クラスターなど、二硫黄錯体(S22-)を含む硫化モリブデン材料が、すべて40 mV/decadeのターフェル勾配を示すことも報告されています23,30。最近の報告では、制御された酸化により意図的に欠陥を導入することで、MoS2ナノシートのターフェル勾配を大幅に小さくできることが示されています16,28。
安定性:酸化!
触媒の安定性は、触媒能を維持できる期間を表す指標です。硫化モリブデンの触媒性能は、反応時間の経過とともに大幅に低下します。ただし、この性能低下を引き起こす基本的な機構はほとんど理解されていません。
硫化モリブデンの触媒活性の低下は、活性サイトの減少によるものと考えることができます16。図4Aは、異なる反応時間(異なるサイクル回数)で得られた、300℃の成長温度で得られた材料の分極曲線と対応するターフェルプロットを示しています。反応時間が長くなるにつれて交換電流密度は明らかに減少するのに対してターフェル勾配は一定のままです。さらに、材料の表面積の指標となる静電容量は、交換電流密度および触媒回転頻度とともに減少します。これは、各サイトにおける電荷移動効率は実質的に変化していないことを示しています16。したがって、観測される触媒活性の低下は活性サイト数の減少が原因だと考えることができます。
図4硫化モリブデンの成長温度に対する触媒の安定性。成長温度がA)300℃、B)420℃、およびC)450℃で得られた硫化モリブデン材料の異なるサイクル数での分極曲線。挿入図は対応するターフェルプロットで、サイクル1回目と2,000回目の結果のみを示しています。文献16より許可を得て転載。Copyright 2010 American Chemical Society。
触媒の活性サイトは材料の酸化により失われます。この現象をさらに理解するため、触媒反応の過程を通して硫化モリブデン材料の組成をXPS測定で追跡しました。MoS2の酸化は、触媒反応後にMoのより高い酸化状態(Mo6+およびMo5+)が現れることではっきりと確認できます16。印加電圧(< +0.2 V vs. RHE)はMoS2を酸化するには低すぎるため、この酸化は過電圧によるものではなく、周囲環境中の酸素によって起きているものです。触媒材料の体積が触媒反応後に減少していることも、酸化の証拠となります16。これは、酸化によって生じる酸化モリブデンが水溶液に対してわずかに可溶性であるため、徐々に溶解するためです。
高い結晶性の材料は酸化しにくいため、結晶性が高くなるにつれて硫化モリブデンの安定性は向上すると考えられます。図4は、成長温度が300℃、420℃、および450℃の硫化モリブデン材料のサイクリックボルタンメトリー測定から得られた分極曲線です。成長温度が高いほど材料の結晶性が高くなることが知られており、成長温度が300℃の主にアモルファスからなる材料では、約250サイクル後にカソード電流が減少します。これに対して、成長温度が420℃で相当量のMoS2ナノ結晶を含む材料は、約1,000サイクルまで電流が減少しません。成長温度が450℃以上の高品質結晶材料はさらに安定で、数千回のサイクルにわたって一定の電流を示します。
結論および今後の展望
3つの主要パラメータ(交換電流密度、ターフェル勾配、安定性)と硫化モリブデンの組成および構造的な物理特性との関係性に関する新たな理解により、高性能かつ低コストのHER触媒の合理的設計を行うための有用な指針が得られる可能性があります。最適な触媒性能(高い交換電流密度、小さいターフェル勾配、および高い安定性)を得るためには、電気伝導率、活性サイト、結晶性を相乗的に最適化しなければならないことが示唆されます。電気伝導率と結晶性の最適化は、それぞれ交換電流密度と安定性を改善します。これらは、単に層数を減らして成長温度を上げることで容易に達成できるかもしれません。しかし、活性サイトの最適化は、活性サイト数の増加や化学的性質の制御といったより困難な課題を抱えています。交換電流密度とターフェル勾配の双方に活性サイトが与える影響のバランスをとる必要があるため、活性サイトの化学的性質の制御は複雑な問題です。活性サイトの性質は、吸着の自由エネルギーおよび律速段階を決定する可能性があります。理想的な活性サイトでは、吸着の自由エネルギーが小さく(ゼロに近く)、Heyrovsky反応またはTafel反応が律速段階となります。
理想的な活性サイトの設計には、以下の課題を解決する必要があります。
- エッジサイト以外にどのサイトが触媒活性を持つのか。
- 吸着の自由エネルギーおよび律速段階が、異なる活性サイトでどのように変化するのか。
- 活性サイトの化学的性質は、材料の組成/物理的特徴(ドーパントなど)にどのように依存するか。
これら疑問に関する知見を得るための更なる研究が期待されます。
References
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