TIPSペンタセン(シリルエチン置換ペンタセン)
John E. Anthony<sup>1</sup>, Dennis E. Vogel<sup>2</sup>, Scott M. Schnobrich<sup>2</sup>, Robert S. Clough<sup>2</sup>, James C. Novack<sup>2</sup>, David Redinger<sup>2</sup>
Material Matters 2009, Vol.4 No.3
はじめに
電界効果トランジスタ(FET:field-effecttransistor)に有機半導体を利用する研究が本格的に始められたのは、蒸着低分子半導体による初期の興味深い結果2が報告された後の、1990年代中ごろ1からです。低コストな製造法の研究によって高分子半導体が飛躍的に進歩したことで、性能はやや低いものの、より簡便な製造法が開発されました3。最近では、溶解性低分子化合物を使用した利便性の高い低コストの溶液プロセス技術によって、蒸着法と同程度の高性能デバイスを作製することができます4。最も初期の溶解性低分子化合物による方法では、ペンタセンやオリゴチオフェンなどの高性能発色団の可逆的可溶化5,6を用いていましたが、現在は、直線的に縮合した発色団に置換基を導入することによる化学的修飾と機能化に基づいています。この置換基による立体相互作用とπスタッキング相互作用の両方の作用によって自己組織化し、これらの化合物は強い分子間電子結合を持つ配列を形成します7。このように高度に設計された材料によって、簡単な溶液プロセスで高い堅牢性を持つ電子デバイスを作製することができます。さらに、これらの材料が持つ強い自己組織化の性質により、極めて広い範囲で結晶規則性を持つ均一なドメインを形成することができるため、低分子化合物の蒸着法によるデバイス性能に匹敵するか、場合によってはそれを超える性能を持つ電界効果トランジスタデバイスを得ることができます。
図1ペンタセン(1)、フェニルエチニルペンタセン(2)、およびシリルエチニルペンタセン(3)。
直線的に縮合した化合物の中では、ペンタセン(1、698423)がおそらく最も詳しく研究された化合物であり、有機半導体の「ベンチマーク」化合物と見なされています8。またその安定性と溶解性を向上させるために、この発色団についてのさまざまな化学修飾研究が行われています9。特に、最も用途が広いペンタセン置換基として、トリアルキルシリルアルキンがあります。シリルエチンによる置換によって、用途固有のニーズに合わせた溶解性の調整や電子特性に合わせた自己組織化の調整が可能となり、非常に優れたデバイス性能を持つ半導体を作製することが可能です。
合成
エチン置換ペンタセンは、フェニルエチニル誘導体(2)が化学発光系における赤色エミッタ10としての利用が検討された1960年代から一般に知られています。これらの化合物は通常溶解性が低いにもかかわらず、最近、あるフェニルエチン誘導体を用いたトップコンタクトデバイスで妥当な移動度が得られました11。より多用途に使用できるのはトリアルキルシリルエチニル誘導体です12。この化合物の合成(スキーム1)は、フェニルエチン誘導体の場合と基本的に同じ方法で行います。つまり、市販されているペンタセンキノン(4、)にアルキンアニオンを加えた後、HI、またはSnCl2を使用して脱酸素化します13,14。ペンタセン構造単位が強い電子吸引基を含む場合には、KIとNaH2PO2を含んだ酢酸溶液で処理することで好ましい結果が得られることが、最近明らかになっています15。電子デバイスで利用するには合成した化合物の純度が非常に重要で、微量の不純物があるだけでも膜の結晶性と材料の安定性が低下し、電子的な性能が劣化します16。多くの場合、この分子の高い非極性と特有の不純物によって副生成物の分離にしばしば問題が生じるため、合成が成功するかどうかは出発原料の純度に大きく依存します。
スキーム1エチニルペンタセンの合成
結晶充填構造
膜の電子特性は個々の分子の結晶配置に影響されるため、溶解性ペンタセンの結晶性膜の形成は非常に重要な意味を持ち、分子の最密充填配置によってアモルファス膜と比較して大幅に安定性が改善します17。シリルエチン置換ペンタセンの結晶充填構造は、シリコンに結合したアルキル置換基を変化させることで容易に調節できます12。いくつかの結晶構造の例を図2に示します(tert-ブチルジメチルシリル(3a)、トリエチルシリル(3b)、トリイソプロピルシリル(3c)、およびトリス(トリメチルシリル)シリル(3d)誘導体)。このように、一次元カラム構造、一次元slipped-stack構造、二次元積層構造、および純粋なedge-to-face構造(一つの分子面が他の分子の側面に向いた構造)と、さまざまな結晶構造をとることが分かります。
図2代表的なシリルエチンペンタセン誘導体とその結晶充填構造
物質固有の特性
平面デバイス(FETなど)に関して、我々は二次元πスタッキング相互作用を持つ材料を用いることで最も均一な膜が得られ、最高のデバイス性能を発揮できることを見出しています。その中でも、6,13-ビス(トリイソプロピルシリルエチニル)ペンタセン誘導体(TIPSペンタセン、3c、716006)は、有機エレクトロニクス用途への展開で大きな成功を収めた化合物であり、最も精力的に研究されている溶解性ペンタセンです。さまざまなシリルエチン置換ペンタセン化合物のバンド構造計算で、伝導帯と価電子帯のいずれも大きなエネルギーバンド分散を示しており、高いホール移動度および電子移動度を持つ可能性が非常に高いと予想されています18。実際に、TIPSペンタセン(3c)とトリエチルシリル誘導体(3b)の単結晶を使用した光学ポンプ-テラヘルツプローブ測定において、いずれの材料も非置換ペンタセンと同程度の移動度を示したことによって確認されています19。
OFET
この化合物群のデバイスへの応用は、ボトムコンタクト構造のトランジスタにおける一連のシリルエチン修飾ペンタセン蒸着膜の分析とともに、2003年に初めて報告されています20,21。これらの研究で得られた重要な知見は、適切な結晶性膜を得るために、蒸着中のデバイス基板を85℃以上に加熱する必要があるということです。単結晶を使用して行った光学測定とは対照的に、薄膜の測定では1次元(1-D)と2次元(2-D)にπスタッキングした材料の間で大きな性能差があり、2-D積層化合物(3c、μFET = 0.4 cm2/Vs)が各種1-D積層化合物(3b、μFET = 10-5 cm2/Vsなど)を大幅に上回る性能を示しました。このような差異はおそらく膜の形態の違いによるものです。つまり、TIPS化合物(3c)は基板上で太い針状または平面状に成長しましたが、一方のTES誘導体(3b)は細い針状に成長し、かつ基板をわずかに被覆しただけでした。続いて行われた溶液プロセスによる薄膜の研究では、溶媒の蒸発速度が遅いために結晶化中にペンタセンの自己組織化が進み、TIPSペンタセンを用いたFETデバイスの性能に大幅な改善が見られました。たとえば、トルエンからキャストした膜では1.8 cm2/Vsものホール移動度が観測されています22。高品質膜と安定したデバイス性能を得るには、キャスト溶媒を慎重に選ぶことが非常に重要です23。
図3ソースとドレインの上に半導体が蒸着された、ボトムコンタクト型デバイスの断面図
異方性
シリルエチン置換ペンタセンの持つ高い溶解性と、特定の表面上で配向性の高い微結晶を生成する性質によって多くのプロセス方法を用いることが可能であるため、材料固有の輸送特性に関する情報を得ることが可能になります。傾斜した基板上24または一定方向に向いた不活性キャリアガスフローの下25において、ソース-ドレイン電極に対してさまざまな角度で結晶成長させた薄膜では、電極を横切る結晶成長の方向によって移動度が1桁変化することが示されました。4つの電極を持つトランジスタに規則性の高い膜を「hollow-pen approach」によって成膜した場合にも、類似した異方性値が得られています26。このように、膜形態の制御は、これらペンタセン膜における各デバイス間の性能のばらつきを最小化する上で非常に重要です。
図4TIPSペンタセン(3c)を用いて製造したデバイス。半導体化合物が著しい配向成長を示すことがわかります。
回路
TIPSペンタセンの無配向膜にみられる結晶成長の大きな異方性にもかかわらず、この材料を使用して多くの複雑な回路が作製されています。初期のアプローチでは、TIPSペンタセンの真空蒸着膜(代表的なFET移動度:0.002~0.05 cm2/Vs)を、パターン形成済みのSi/SiO2/Au基板上に堆積することで、-10Vの駆動電圧で5.5の増幅率を持つインバータが作製されました27。また、NANDおよびNOR論理ゲートのような単純な回路も作製されています。湿式蒸着TIPSペンタセンを使用したより最近の研究では、0.2~0.6 cm2/Vsの範囲の平均FET移動度が得られ、3.5の増幅率を持つインバータが作製されました28。このインバータから作製された7段リング発振器から、わずか-5Vの動作電圧で10 kHzを超える発振周波数が得られました。
ブレンド
低分子半導体の膜形成特性を改善するために、TIPSペンタセンなどの分子を絶縁性または半導体ポリマーと混合する方法が有力となっています29。高分子マトリックスによって、スピンキャストした膜から溶媒の失われる速度が大幅に遅くなるため、低分子が凝集してより大きなグレインに結晶化するようになります(図5)。
図5ディップコートにより成膜した高分子/TIPSペンタセン混合薄膜の顕微鏡写真。TIPSペンタセン結晶の形態は、非混合膜(図4)で見られるものと類似している点に注目。
この方法により、高性能低分子化合物の優れた電子特性と共に、可溶性高分子材料のプロセス特性を利用することができます。最近では、ポリ(α-メチルスチレン)/TIPSペンタセン混合物のスピンキャスト膜から0.54 cm2/Vsもの高い移動度が得られています30。これらの膜を詳細に分析した結果、非常に高分子量のポリマーを使用した場合、TIPSペンタセンはシリカ誘電体との界面側へ選択的に分離していることが明らかになっています。一方、TIPSペンタセンとポリ(トリアリルアミン)半導体ポリマーを混合した場合は、TIPSペンタセンはむしろポリマー層の上側の界面側(空気側)に分離しました31。この場合、トップゲート構造のスピンキャスト膜は1.1 cm2/Vsという高い飽和移動度を示し、デバイスは優れた均一性と安定性を示します。
インクジェット印刷
インクジェット印刷は、有機エレクトロニクス分野の各種応用において有機半導体膜を蒸着するための最先端技術として注目されています32。シリルエチン修飾ペンタセンの印刷法による成膜に関する初期の研究では、溶媒化合物を慎重に選択する必要があり、ソースおよびドレイン電極を通常用いられない同心円状に配置しなくてはなりませんでした。これらの条件において測定した場合、チャネル幅を微結晶により被覆された実際のチャネル領域部分に補正すると、0.12 cm2/Vsという高い平均有効移動度が達成されました33。2007年の終わりには、活性層にTIPSペンタセンを使用した、すべてインクジェット印刷によって作製された電気泳動ディスプレイが実現しました34。チャネル長の短いデバイスを利用すると0.01 cm2/Vsを超える移動度が達成できる可能性があり、76 dpiの10.5インチディスプレイ用バックプレーンを製造できるようになります。我々は、ボトムゲート、ボトムコンタクト型デバイスを使用し、ポリスチレンを混合したTIPSペンタセンインクで作製した、すべてがインクジェット印刷されたTFT(チャネル長 = 125 μm)で0.194 cm2/Vsという平均移動度を達成しました(図6)。
図6インクジェット印刷により作製されたTIPSペンタセンを用いたトランジスタ
電極と導電体は、Agナノ粒子を印刷、焼結することで作製しました。デバイスは、105のオン/オフ電流比、0.148Vの平均しきい値電圧、および1.293 V/decのサブスレッショルド係数(subthreshold slope)を示しました。すべてがインクジェット印刷されたバックプレーンによって駆動する電気泳動ディスプレイを図7に示します。
図7TIPSペンタセンを用いた、すべてがインクジェット印刷されたバックプレーン(上)と、そのバックプレーンを使用して作製した電気泳動ディスプレイ(下)。
その他の利用方法
TIPSペンタセンには、シングルへテロ接合太陽電池(図8)におけるドナーとしての用途も見つかっています。溶液プロセスで成膜されたTIPSペンタセンと、アクセプターとして真空蒸着されたC60をペアで用いることで、0.52%の効率を持つ太陽電池になります35。あるいは、TIPSペンタセンとC60を使用して、すべてが真空蒸着されたシングルへテロ接合セルから、効率が0.42%の太陽電池が得られています36。ジオキソールで修飾した誘導体(5)は、これらの真空蒸着デバイスにおいていくらか優れた性能を示し、最大0.74%の効率が得られます。フラーレンベースのバルクヘテロ接合デバイスは、フラーレンとペンタセンが急激に反応するためにペンタセン誘導体を使用して作ることはできません37。誘導体(5)は強い蛍光性を持つ化合物であり、3.3%の外部量子効率を示す赤色有機発光ダイオードの作製にも使用されます38。
図8上:シングルへテロ接合有機太陽電池(左)と発光ダイオード(右)の代表的な構造。下:ジオキソール誘導体化合物(5)。
参考文献
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