強塑性変形のメカノケミカル効果:金属合金、水素化物、分子固体
Jacques Huot<sup>1</sup>, Viktor Balema<sup>2</sup>
Material Matters 2010, Vol.5 No.4
はじめに
水素エネルギーは、石油、石炭、天然ガスなどの従来型エネルギー源に代わるものとして、世界中の技術先進国における研究開発分野で大きく注目されています。水素を基盤とした経済は、エネルギー関連問題を解決し、地球規模の気候変動を抑えることができると考えられています。また、水素はさまざまな再生可能エネルギー源から製造でき、毒性のない、エネルギー媒体として極めて環境に優しいという特長を持っています。ところが、こうした明らかに優れた利点があるにもかかわらず、水素を現在の世界経済に取り入れるには非常に大きな困難を伴います。水素は化学工業や石油精製工業では日常的に用いられていますが、多くのエネルギー用途にはその貯蔵と運搬に対して高いコストがかかるためです。現状で、水素をさまざまな携帯用途および定置用途に便利でかつ安全に用いる唯一の方法は、金属や合金およびそれらの(金属)水素化物として固体状態で貯蔵することです。本論文では、水素貯蔵のための金属材料の調製と加工に用いられるいくつかの実験手法を概説します。これらの方法による塑性変形の化学的効果を用いて、水素吸蔵用の金属や合金をナノスケールで設計し、改質します1。特に、合金や金属水素化物に強塑性変形(SPD:severe plastic deformation)を与える方法に焦点を当て、別の機械的処理方法であるボールミル処理と比較します。最後に、最近大きな関心を集めている、水素含有量の高い分子固体の構造変態に塑性変形が果たす役割にも注目します2。
金属水素化物の調製における強塑性変形
金属や金属間化合物の強塑性変形には、Equal Channel Angular Pressing(ECAP)法、High pressure Torsion(HPT)法、冷間圧延(CR:cold rolling)法など、比較的単純で、極めて効率的な技術が用いられます。これらの方法は、高エネルギーボールミル法と同様に2、当初は金属の成形と加工のために開発されましたが、水素貯蔵材料の調製と改質のための効率的な方法であることが明らかになっています。
Equal Channel Angular Pressing (ECAP)法は、断面積が等しく90°~120°の角度で交わる2つの溝を持つ金型に試料(金属片)を押し通して、材料を強く塑性変形させる方法です(図1)3。
図1Equal Channel Angular Pressing(ECAP)法の概念図
金属片は金型の形状と断面積に合わせて変形するため、繰り返し処理することによって微小な歪みが増大し、材料中の結晶子の大きさが減少します。その上、連続してプレスする間に金属片が単に回転するだけで、試料内で異なるすべり系が活性化されます。ECAPは、平均結晶サイズが2 μm~100 nmで、細孔のない不純物濃度の低い材料を大量に製造することのできる効率的な金属加工法であり、しかも、従来のボールミル法より安価です4。Skripnyukらは2つの方法を直接比較し、ECAP、ボールミル法、およびその両方で加工した市販のZK60合金(94.34 wt.% Mg, 4.95 wt.% Zn, 0.71 wt.% Zr)の水素吸蔵の速度論的および熱力学的特性を測定しました5。ECAPによって、この合金の水素吸蔵・放出特性は極めて効率的に向上しましたが、高エネルギーボールミル法と組み合わせたときに最大の効果が得られました。同様に、市販のマグネシウム合金AZ31(96 wt.% Mg, 3 wt.% Al, 1 wt.% Zn)を423K~573Kの間でECAP処理した例もあり6、3種類の機械的処理法(ECAP法、冷間圧延(CR)法、および高エネルギーボールミル法)を組み合わせた場合に最適な水素吸蔵特性が得られています。これらの結果から、ECAPを単独で用いるよりも、他の処理方法と組み合わせた場合にその利点を最大限に引き出すことができると考えられます。
High Pressure Torsion (HPT)法では、粉末や薄膜の材料は高い圧力と同時にねじり歪みを受けます(図2)。
図2High Pressure Torsion(HPT)法の概念図
一般に、HPT法は少量の試料(1グラム以下)でないと用いることが出来ないため、主に固体材料におけるSPDの基本的効果を評価するのに用いられます。Kusadomeらの研究では、通常は水素を吸蔵しないMgNi2合金が用いられ、HPT処理によって材料が著しく歪むことで合金の粒界に水素が蓄積し、0.1 wt.%の水素が吸蔵されることが明らかになっています7。Limaらは、別の研究で、HPT処理したMg-Fe粉末の水素吸着特性が著しく向上することを報告しており8、処理した試料を水素化および脱水素化してもMg相の優先的な(002)配向には影響がないため、HPTによるミクロ構造が維持されていると指摘しています。
Leivaらは最近、HPTを用いて金属水素化物粉末をプレスする際に、準安定なγ-MgH2相が生成され、水素化マグネシウムの結晶子サイズが著しく減少すること見出し、HPT法とボールミル法の類似性を確認しました9。これまで、機械的処理によってγ-MgH2が生成されるのは、主に高エネルギーボールミル法であると考えられていました10。
冷間圧延(CR)法では、金属シートをローラーの間に通し、ローラーで圧縮して押し出します(図3)。
図3冷間圧延(CR)法の概念図
CR法による歪みの量で、最終的に得られる材料の硬さや他の特性が決まります11。一般に、圧延法は金属の再結晶化温度に対する処理温度に従って分類されます。
• 熱間圧延(HR:hot rolling)法は、圧延対象材料の再結晶化温度を超える温度で行われる方法です。
• 冷間圧延(CR:cold rolling)法は通常、再結晶化温度より低い温度で行われます。
水素吸蔵合金の水素吸蔵特性に対する冷間圧延法の影響が、詳しく研究されています12-14。Zhangらは、変形がTi系合金の水素吸蔵挙動に及ぼす影響を確認しました12,13。材料を冷間圧延または圧縮して変形させた結果、冷間圧延した合金の最初の水素吸蔵反応(活性化)は、処理していない(焼き入れただけの)試料よりはるかに速いことが分かりました。残念ながら、CR法のこの効果は、数回の水素吸蔵/水素放出サイクル後に材料が元の状態に戻ることで消失してしまいます。Couillaudらは、TiV1.6Mn0.4の水素吸蔵特性に対する多段階CRの影響を測定し、高エネルギーボールミル法と比較しました14。それによれば、冷間圧延法とボールミル法は同程度の効果を持っており、どちらの方法でも結晶構造を変化させることなく、結晶子サイズと合金の格子定数が小さくなりました。また、S.Kikuchiのグループは、さまざまなMg系多成分合金の水素貯蔵能に対するCRの影響を確認しています15。彼らによれば、Mg-Ni系については、Mg-Ni積層複合材料をさらに熱処理すると金属間化合物であるMg2Ni合金に変化し、水素に暴露すると金属水素化物Mg2NiH4に変換できることが分かりました。2Mg+Niの組成を持つ化合物もPedneaultらによって研究され、加工した合金の電気化学特性に対する冷間圧延の影響が確認されています16。彼らは、CR法と追加熱処理との組み合わせが、ナノ構造金属水素化物の調製法として有望であることを見出しました。冷間圧延法で調製したナノ結晶Mg2Niは、マグネシウムとニッケルから高エネルギーボールミル法で作製したナノ結晶Mg2Ni粉末と同等の電気化学特性を示しました。もう1つの例では、積層Mg-Pd材料は、ボールミル法で作った同じ化学量論比の試料より速く活性化し、空気に対する耐性に優れていることが示されています17。
マグネシウムと水素化マグネシウムの冷間圧延
HPT法や高エネルギーボールミル法による場合と同様に、MgH2の冷間圧延によっても、準安定なγ-MgH2相を容易に水素化マグネシウム中に生成できるため、CR法はこれまでに述べた他の処理方法と少なくともエネルギー的に同程度であることがわかります9。
J. Huotのグループは、最近の実験において、CR法と高エネルギーボールミル法が水素化マグネシウムの水素吸蔵特性に及ぼす影響を比較しました。図4に、未処理の水素化マグネシウムと、ボールミル法(30分間)または冷間圧延法(5回)で処理した試料の水素吸蔵特性を示します。
図4未処理(as-received)、5回冷間圧延(CR5X)、および機械ミル処理(BM30min)した状態のMgH2の623K、2MPa水素圧における水素吸蔵特性。
未処理の水素化マグネシウムは極めて遅い水素吸蔵/水素放出特性を示しますが、30分のボールミル処理によって著しく改善されます。また、ボールミル処理は、材料の酸化を防ぐためにアルゴン下で行ったのに対して、冷間圧延は空気中の処理にも関わらず、冷間圧延した試料がボールミル処理した材料と同様の特性を示すのは驚くべきことです。このように、冷間圧延法は、高価で時間のかかる高エネルギーボールミル法より、単純かつ経済的なマグネシウムの改質方法であるといえます。
強塑性変形に伴う強い歪みが、マグネシウムやその合金など、水素化物を形成する金属に生じると、水素化物相の核生成点となるさまざまな欠陥ができることが予想されます。この仮説を検証するために、冷間圧延したマグネシウムと市販マグネシウム合金AZ91(約92%のMg、約8%のAl、微量のZn、Mn、およびSi)を用い、各試料を50回、折り曲げて冷間圧延することを繰り返した後、水素に暴露しました。比較のために、未処理の純マグネシウム粉末も同じ条件で水素に暴露しました。図5に、623K、水素圧20 barで測定した水素吸蔵(活性化)曲線を示します。
図5マグネシウム粉末、冷間圧延したマグネシウム(Mgインゴット)、および冷間圧延した市販合金(AZ91インゴット)の最初の水素吸蔵(活性化)曲線。623K、水素圧20 barで活性化しました。
予想された通り、冷間圧延によって活性化した試料は、未処理のマグネシウム粉末よりも著しく高い水素吸蔵能を示しています。さらに、未処理の粉末では水素吸蔵の開始に長い時間がかかるのに対して、圧延した試料は水素に暴露すると直ちに水素を吸蔵し始めます。
機械的に引き起こされる分子固体の変換反応
これまでに示した実験結果から、Equal Channel Angular Pressing法、High Pressure Torsion法、または冷間圧延法によって金属材料に強塑性変形を引き起こすことで、金属同士もしくは金属と水素の間の相互作用が著しく向上することは明らかです。言い換えると、強塑性変形によって、金属や金属水素化物に対して化学的変化を機械的に引き起こし、合金の調整や、固溶体から二成分および複雑な金属水素化物(Mg2NiH4、MgH2など)にわたる水素化物の合成が可能であるといえます。また、SPD法の方が機械的活性化反応を行う上で機械的ミル法より安価でかつスケーラブルである点以外は、SPDは機械的ミル法と同様の効果をもたらすと言っても間違いではありません。
強塑性変形とボールミル法の関係をさらに深く理解するには、高エネルギーボールミル処理中に衝突するボールとボールの間、もしくはボールと容器壁との間に挟まれた固体材料中で起こる変化について考えることが重要です。ボールの間に挟まれた固体材料は外部からの圧力によって、可逆的な弾性変形を起こし、続いてせん断やねじれによる変形などの不可逆的な塑性変形が発生します(図6)。圧力が増すにつれて塑性変形が極めて強くなり、材料の破壊やアモルファス化が生じます2。
図6ボールミル処理中に、衝突する2つのボールの間に挟まれた材料に発生する変形
このように、ボールミル処理で起こる変形の特性がSPD法によるものに極めて類似しており、これら機械的処理方法の類似性に対する説明になると考えられます。
高エネルギーボールミル法でさらに考えなければならない要素は、衝突するボールと容器壁の間に挟まれた材料内部に発生する高い圧力です。このような接触領域での圧力は数GPaに達する可能性がありますが2、これは、金属やイオン性水素化物、または分子(有機)固体において、圧力で化学変換を引き起こすのに十分な圧力です。高圧力点を発生させるかどうかはさておき、材料に強塑性変形を確実に引き起こす条件下で、通常の反応と極めて似た化学反応が起こることが多くの例で知られています。たとえば、固体ホスホニウム塩と固体有機アルデヒド類の混合物を炭酸カリウムの存在下で高エネルギーボールミル処理すると、無溶媒Wittig反応を起こすことができます(図7)18。
図7機械的に引き起こされた無溶媒Wittig反応
当初、この効果はボールミル処理中に材料に生じる高圧によるものと思われていました2。ところが、より詳しい実験により、ボールミル法の利用はこのメカノケミカル反応に必須の条件ではなく、無溶媒Wittig反応は、反応物を乳鉢と乳棒ですりつぶすだけで起きることが分かりました19。この方法では材料に超高圧が生じることはありませんが、CR法やHPT法と似た強塑性変形は確実に起こります。
結論
固体材料の物性に対する強塑性変形(SPD)の影響に関する本論文で、金属、イオン性固体、および分子固体の調製と改質にSPDが効果的であることを明らかにしました。SPDは、特にマグネシウムとマグネシウム合金の水素貯蔵特性を向上させ、最初の水素化/脱水素化(活性化)サイクルでの水素貯蔵容量を向上させます。SPDの効果は、冷間圧延された水素化マグネシウムでも同様に観察されます。機械的に引き起こされた無溶媒Wittig反応のような複雑な多段階反応など、分子固体を機械的に処理することによる化学的効果にも、強塑性変形が関与している可能性が高いと考えられます。さまざまなSPD法の中で、冷間圧延法が最も容易に工業的にスケールアップできる方法であるのはほぼ間違いありません。したがって、ナノ結晶性金属やイオン性材料を製造する上で、冷間圧延が高エネルギーボールミル法に取って代わる可能性があり、また、分子(有機)固体の変換にも応用できるでしょう。固体材料の材料化学にSPDを用いる研究はまだごく初期の段階にあり、メカノケミカル法の可能性を完全に引き出すには、今後も多くの取り組みが必要です。
謝辞
SPDに関する研究を支援して下さった、Université du Québec à Trois-RivièresのY. TurcotteとJ. Lang、およびS. Amira博士に感謝いたします。
参考文献
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